努力ができない人が続けられるようになるための3つの方法
2014/12/26
photo by:Writing / jpaxonreyes
生きていく中で、努力は不可欠です。
人には欲があって、その欲求を満たすには、努力が必要だからです。そして人は、代償を払わないと、幸福感を得られないからです。
僕は今でも「努力」について悩んでいます。それは、今でも試行錯誤を続けているということです。
そして、そんな試行錯誤の甲斐があって、昔の全く努力ができない自分とは比べものにならないほどに、努力ができるようになりました。
比較対象が「全く努力ができなかった、昔の僕」ですから、「僕は努力の達人です!」というわけでもありません。
ですが、そういった「もがき」の中で得たものは、もしかしたら誰かの役に立つかもしれない。そんな思いから、この記事を書きました。
努力を継続するための3つの手段
大きく分ければ、努力を続けるためには3つの手段があると思っています。
どれか1つを使ってもいいですし、複合的に使うのもいいと思います。
また、3つの方法をお話したあとは、どの手段の手助けにもなる「ツール」として使える小技集についてもお話します。
1. 努力(行為)を目的にする
photo by:A Love of Books / dolinski
「努力を続けた上での何か」を目的にするのではなくて、努力すること自体を目的にしてしまう方法です。
よくある例としては、
「自分の好きなこと」です。
自分の好きなことであれば、
自然と「もっとやろう!」と思えますよね。
そして、それを積み重ねていくうちに、本人はそれを努力とも思わないまま、上達していくのです。
どんな目標を立てたかにもよりますが、自分がレベルアップを続けていけば、いずれ目標を達成することができます。
「好きこそ物の上手なれ」ということわざの通りですね。
好きこそ物の上手なれ
誰でも好きでやっていることは一生懸命になるし、それに関して勉強したり工夫したりするので、自然に上達するものである。
芸事は、無理して嫌だと思いながらやっても、成長はないということ。引用: 故事ことわざ辞典
「好きなことだから努力できる」ということは、こちらの記事でもお話しています。
関連記事: 人生における成功とは何か? 成功法則の嘘と本当について
2. 環境で縛る
理想の人たちがいるコミュニティへ
人間は、社会関係を処理する能力が高いです。つまり、あるコミュニティに入れば、最初は居心地が悪くても、段々とそこに順応していきます。
最初は辛くても、そこにいる人たちに順応していくのです。見方によっては「当たり前度が上がる」と言うこともできます。
自分の理想の人たちが集まるコミュニティを探し、入れば、環境を変えられます。
たとえば、起業して成功したい人が、起業家が集まるコミュニティに入ってみたり、交流のありそうなシェアオフィスを利用するようなイメージです。
「せざるを得ない」の環境を作る
たとえば、勉強をするために自習室を借りるような方法です。
あるいは、「理想の人がいるコミュニティへ」という話にも繋がりますが、料理を上達させるために、料理教室に入会してしまうようなやり方です。
もしもそれが有料であれば、払ったお金の元を取ろうという心理が働くので、その分やる気もでます。これは、さきほどのコミュニティの話も同様です。
こんなぶっ飛んだエピソードがあります。
乙武洋匡さんの中学受験のエピソードです。
高校に通うためには、引っ越さなければならない。さらに、転居先を決めるにあたっても、車椅子に乗っていることでさまざまな制限が生じてくる。(中略)これらのポイントを満たしているマンションというのは、かなり限られている。まして、ちょうど4月から入れるところなど、皆無に等しかった。
だが、奇跡的に1軒だけ見つかった。しかし、他にも話を聞きにきて迷っている人がいるという。言ってみれば「早い者勝ち」という状況だった。そこで彼らはなんと、そのマンションと契約してしまったのだ!引用: 乙武洋匡「五体不満足 完全版」講談社、2001、136頁
※彼ら=乙武さんの両親。
五体不満足 完全版 (講談社文庫)
乙武 洋匡 講談社 2001-04-04
|
高校への合格が決まる前にマンションを契約してしまったエピソードでした。乙武さんは、三者面談で「志望校に合格するのは厳しい」と言われていたにもかかわらず、契約してしまったのです。
このあと、乙武さんは志望校に合格しました。
もちろん、これがあったから乙武さんが合格したのではなく、色々と複雑な要因が絡み合った結果の合格だと思います。しかし僕は、この一件が合格の大きな要因を占めていたのではないかと思っています。
その学校に合格するつもりなら、
合格発表の前に家を借りてしまう。
というようなケースのように、「もう自分が理想の状態になったつもりで行動する」というのは、非常に有効です。この部分に対して勇気が持てれば、その勇気は自分に大きな恩恵をもたらします。
周りに宣言する
もう1つ、手軽に環境を変える方法があります。それは、宣言することです。
たとえば、あなたがある大学に合格したいのであれば、それを公言します。家族、友人、あらゆる人に公言します。
もう頑張るしかありませんね(笑)
こんな形で宣言するのも面白いです。
手渡すだけでモチベーションとパフォーマンスを高める魔法の手紙 – 読書猿Classic: between / beyond readers
この「環境を変える」というのは、効果があるとは分かっていても、実際に行動に移すのはとても億劫だと思います。
しかし、何か嫌な思いをしないとそれは手に入りませんし、嫌な思い・しんどい思いをして手に入れるから、それには価値があるのです。
漫画「進撃の巨人」に登場するアルミン・アルレルトの、有名な台詞を引用したいと思います。
何も捨てることができない人には
何も変えることはできないだろう引用: 諫山創「進撃の巨人 7巻」講談社、2012、19頁
とはいっても、僕はそんなに理性的にはなれません(笑) でも、たまになら、そうやって理性的に判断できるのです。たまにだって、良いのではないでしょうか。
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3. 努力は報われると知る
3つ目の方法は「努力は報われると知る」ということです。
「この道を歩き続ければ、必ずゴールにたどり着ける」
「この道を歩き続けても、ゴールにたどり着けるか分からない」
前者のほうが、明らかにモチベーションが高まるはずです。
色んなことに対して努力してみましょう。
報われる努力もあれば、報われない努力もあるでしょう。
ですが、こういう努力の経験を積むと、なんとなく「これは報われる努力だ」ということが分かります。
余談ですが、「なんとなく」に関することは、こちらの記事でお話したことがあります。
関連記事: 無意識や潜在意識の行動・考え方・人付き合いへの影響について
頭の中で考えていても、
結局はどうなるか分かりません。
「準備に完璧はない」とはよく言ったものですね。
行動に移して失敗してしまったとしても、「やればできるかもしれない」といつまで経っても言っている人より、よっぽど素晴らしいです。
人生は、死ぬ時に「いい人生だった」と思えるなら、全てのプロセスに意味が与えられます。その失敗は、自分に経験をくれます。その経験は不正解の選択肢を消し、より正解の選択肢を選びやすくさせてくれます。
「自分の力量」が、よりハッキリとしてくるのです。
自分がどれほどの人間か分かってしまうのは、少し怖いことでもあります。ですが、そこが分からないと、いつまで経っても一歩を踏み出せません。
為末大さんのツイートを引用したいと思います。
ちゃんとした勝負をした経験が少ないと、一生懸命やった自分はどの程度で、誰には勝てて誰には勝てなくて、何は得意で何は得意ではないかという、実感が得られないのではないか。まだやっていないからわからないという希望を持ち続けたまま大人になる。
— 為末 大 (@daijapan) 2014, 8月 24
努力の手段は、前述した「好きなこと」や「環境」でも何でも構いません。こうしてたくさんの「一生懸命な経験」を積むと、その努力が報われるか否かが、感覚的に分かってきます。
そうして経験を積み、感覚的に「いける」と思えれば、人は努力を続けられます(「いける」と思えない場合については後述)。
情報を集めることについて
「報われる努力である」という確信が持てないのであれば、情報を集めます。先人の知恵を拝借するのです。
自分と同じような目標に対して努力していた人は、どれくらいの確率で目標を達成したのか。目標を達成した人に共通していることは何か。失敗した人に共通していることは何か。
それを踏まえると、自分の努力は報われそうか?
情報を集めて、具体的に自分の成功がイメージできようになれば、人は頑張れます。
「この道を歩き続ければ、必ずゴールにたどり着ける」
「この道を歩き続けても、ゴールにたどり着けるか分からない」
この違いです。
裏切られる覚悟
感覚的にも、この努力が報われる可能性は低いと感じる。集めた情報的にも、その努力が報われる可能性は低そうだ。
でも、やりたい。
そういう気持ちは、どうしようもありません。簡単に抑えられるものではありません。
しかし、「やりたい」という気持ちとともに、常にある気持ちがつきまとうのです。
「これでいいのか?」と。
そして、また悩みます。やりたいけど、やるべきか。
そういう時は、自分の中で、上手く割り切る必要があります。
たとえば、「報われなかった時の覚悟はできている。裏切られてもいいから努力する」という決断をしたり、「いつまでに結果が出なかったやめる」という決断をしたり。
踏ん切りが付かないと、
人は進む気を無くしてしまうものです。
脳は、漠然とした、自由すぎることを考えるのが苦手です。
たとえば、「今から何かについて考えてください」と問われるのと、「今から30分以内にオレンジを食べる方法を考えてください」と問われるのとでは、考えやすさに雲泥の差があります。
ある程度の制限があるからこそ、どうすべきかが閃きます。どうすればいいか分かるから、人は行動することができます。
努力を続けるための小技集
好きなことでも、全てが好きというわけにはいかないし、努力が報われると知っていても、イマイチやる気が起こらない時があるものですよね。
このトピックでは、そんな時の助けになるtipsをご紹介したいと思います。
努力の可視化(見える化)
「自分はこれまで、どれくらいの努力をしてきたのか?」
ということを可視化することは、努力するためのモチベーションアップにつながります。
僕は、エクセルを用いて可視化を行っています。
縦軸に日付、横軸に各項目を設定して、毎日記入していく方法です。月別で新しいエクセルシートに切り替えます。
横軸には、たとえば「○○の参考書」とか「読書」みたいな項目を作ります。余談ですが、僕は睡眠時間やら体重やらも記入しています。
具体的には、こんな感じです。
今月のデータに加えて、先月との比較ができる欄を設けています。また、別のエクセルファイルには「月別のデータ」が記載されていて、「これまでの累計」が見られます。
合計値を見たり、先月との比較を見たりすると、ニヤニヤできます(笑)
エクセルは、平均値とか合計値を自動で計算してくれるので、一度テンプレートを作ってしまえば、あとは毎日数字を記入するだけです。
エクセル関数の設定方法は、下記のページが参考になります。
「オート SUM」ボタンっていったいなに? – Microsoft atLife
AVERAGE関数の使い方 – 初心者のエクセル(EXCEL)学習・入門
見える化、数値化というのは、頑張った自分への一種のご褒美です。モチベーションが上がりますし、「ここまでやったんだから、引き下がれない」といった心理も働きます。
また、ここではエクセルに関するご説明をしましたが、別にカレンダーや手帳に書き込む形でも、何でもいいと思います。手段は1つではありません。
なぜやる気が出なかったのか考える
よく、とにかくやれ! そうすればやる気は出る! と言いますよね。この現象は心理学者のクレペリンという人によって発見され、「作業興奮」と名付けられました。
しかし、ほんとうにやる気が出ない時というのは、「とりあえず手を付けてみる。やってみる」ということすらできないものですよね。僕がそうです(笑)
もちろん、やれそうな時はそうするべきなのですが、その気持ちすらも起きない時は、別にもうやらなくて良いと思っています。もういっそ、好きなことしたり、好きなものを食べたりして、グッスリと寝てしまうのです。
起きると、よほど深刻でなければやる気が戻っています。そうしたら、やるべきことがあります。移動時間などのスキマ時間でいいので、原因を考えましょう。
「なぜ、昨日の自分はやる気になれなかったのか?」
直前の行動に何か問題があったのかもしれません。ストレスが溜まっていたのかもしれません。体が疲れていたのかもしれません。
いろいろな原因を考え、その解決方法を考えてみましょう。もちろん、一発で解決できるとはかぎりませんが、失敗をすればするほど、データが溜まります。不正解の選択肢が消えるので、精度は高くなっていきます。
どうしても原因が分からない場合は、その直前の状況をメモしておきましょう。直前には、どんな出来事があったのか、体調は、ストレスは、天気は、温度は…etc。
データを蓄積していくと、そこに共通性が見えてくることがあります。もしかしたら、それが原因かもしれません。
原因が分かれば、大丈夫です。そこを直せば勝てるのですから。本当に実力差のある敵とは、なぜ負けたのかすら分からないような敵をいいます。
こうしたトライアンドエラー・試行錯誤の積み重ねというのは、魔法のように劇的な結果は望めません。しかし、長い目で見たときに、それはとても大きな違いを生みます。
関連記事: 習慣の作り方とホメオスタシスについて
おわりに
もっと努力せねば! と思うのも素晴らしいのですが、
僕はたまに、
「僕はこれまで、どれだけの事を頑張ってきたのか」
ということを、思い出すようにしています。
そして、
そんな自分に、
「ありがとう」
と、語りかけます。
この記事が、あなたの一歩に少しでも貢献できたなら幸いです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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Comment
今自分行き詰ってまして、ネットで検索して打開策を探していたところ
こちらのブログへとたどり着きました。
ライバルの必要性からこの記事(努力できない悩みを持つ人)まで読んで、
ハッとすることが多かったです。
自分自身、忘れていたことがたくさんありました。
ですが、このブログのおかげで忘れていたことを思い出すことが出来ました。
先程まで目の前が霞んでしまっていたのですが、今はちょっとだけ光が見えます。
この記事に出会えてよかったです。
桜花はるこさん、コメントありがとうございます。
そうおっしゃっていただけて、とても嬉しいです。ありがとうございます。
何かに辿り着く道は、打ちのめされて、立ち上がっての繰り返しなんですよね。
いろいろ考えましたが無理でした。やっぱりみんなからバカにされるだけの人生だと気がつきました。
>>涙さん
コメントをいただきありがとうございます。大丈夫ですか? 何かアドバイス等々ができる身分でもないですし、個人的な経験を書いてみますね。
僕は自分や他人、あるいは世界に絶望してしまいどうしようもないときは、あまり無理をし過ぎて壊れてしまったら元も子もないので、本当に少しずつでも前進・努力していければいいとすら考えていませんでした。「前進のための前進(休息など)」ができれば十分だと思っていました。それすら出来そうになくても、「何もしなくても変化は起きるのだから、そのうちいい状態になるかもしれないし」と考えて、「何もしない自分でいいいや」と考えてじっとしていました。
「何もしなくていいや」で努力をせずに生きていても、人生はそれなりに楽しいですし、誰かの役に立つことだってできると分かりました(たとえば自分がこの世から消えてしまったら家族や友人が悲しみますから、存在だけで他所貢献です。たとえそういう存在がなくとも、例えば自分がコンビニで買い物をすれば、店員さんやメーカーさんに貢献しています)。
たぶん自分はどうやったって楽しく生きていけるし、他者貢献できるのだと感じた時から、「こういう自分にならなきゃ幸せではない」というのが無くなって、「○○な自分になるために、○○しなきゃ」ということが極端に少なくなりました。「強制」がなくなって、すべてが自由になりました。
もちろん、社会や組織のルール・マナーは守っていますが、「守らなきゃ」ではなく、「守っていたほうが好都合だから、守るか」という意識になりました。努力も同様に、「別にしなくてもいいけど、したほうが面白いな」と思うようになって、(比較的)努力ができるようになりました。
僕の場合、悩みから気分が沈んでどうしようもなくなっているときは、たいてい、「これしかない」というものの見方をしています。
「バカにされる」はあまり気になさらないほうがいいかと思います。涙さんは、誰かを嫌らしくバカにする人は好きですか? 僕は嫌いです(「バカにする人をバカにしている」ようなものなので、僕も似たようなものかもしれませんが…笑)。
誰かをバカにする人が嫌いなのは好みの問題が大きいですが、利己主義的に考えたって、やはり間違った選択ですよね。バカにした相手からは嫌われますし、「誰かを嫌らしくバカにしている」というのは他人の目から見てもマイナスに映るのは、言うまでもないですよね。関係を避けられたり、場合によっては反撃をされたり…。誰かをバカにする人は、どうやらそんなことも分からないようです。僕には、そういう人たちが「身体面だけ大人の幼い子ども」に思えるときがあります。この点、バカにされる人というのは、バカにする人よりも人格面で勝っているのではないでしょうか。
たとえば5歳の子どもに、無根拠に「ばーか!」と言われたら、どう思うでしょうか。「やれやれ、かわいいこどもだな」とか、そんなところでしょうか。誰かにバカにされたら、相手を5歳の子どもだと思うのはどうでしょうか。あながち間違いではないのですから。