ブログが炎上+誹謗中傷されまくって分かった恐怖や不安への対処方法
2014/12/26
最近僕は、特定の人に対して、
萎縮したり、身構えてしまうことがありました。
つまり、恐怖・不安といった感情を覚えたのです。
べつにその人が嫌いなわけではありません。しかし、萎縮する。
こんな事が1日に2回もあったので、「どうしてだろう?」と考える良いキッカケになりました。
「萎縮してしまう現実と、どう向き合っていけばいいのか?(対処法)」
結論は、「恐怖・不安を克服するべき、あるいは受け入れるべき理由を、自分が納得できる形で、自分に言い聞かせること」です。
その方法や理由を、この記事では詳しくお話していきたいと思います。
なぜ僕は萎縮してしまったのか
Case1 とある親戚のCさん
この方との間には、一種のトラウマがありました。それは、僕が小さな子どもの頃までさかのぼります。
僕は、とあるお祭りで、
ごねたことがありました。
「もう一回くじ引きがやりたい! やるまで帰らない!!」と。
僕の親は、おしるこなのか、スピードワゴン小沢さんなのか、少女漫画の主人公のマスクなのかってくらい、僕を甘やかすタイプでした。友人に、お前のお母さんどんな人? って聞かれて「虫に好かれそう」って言いましたからね(笑)
「クジ引きやりたいーっ!!」
と、ごねる僕。
それはもう、ごねまくりです。
「ごねるねるねるね」です。
「えぇ〜、もうたくさんやったでしょう〜? もう帰ろっ!」と、優しく説得する母。
しかし、僕は知っています。
「僕は卵だ。黄身(君)なしではいられないさ」
っていう台詞くらいに甘い、そんな母の性質を知っています。
なので、僕はそれを良いことに
「やだー! あと一回やるまで帰らないー!!」(ふふ、これであと一回は確実にクジを引けるぜ…!)
と、地面に座り込んだのでした。
これが、全国のお祭りにおいて、主に少年少女の間で、年間数千件は行われていると僕の脳内でウワサになっている「くじ引きストライキ」というやつです。
母が「ええ〜、もう仕方ないなぁ…」という感じで折れかけた、その時でした。
一緒にお祭りに来ていた親戚のCさんが、僕を無理矢理に地面から引きはがし、担ぎ上げたのです。
で、そのまま車に放り込まれ、自宅に直行です(笑)
いや、今思えばどうってことないですし、ぐずってた僕が悪いのですが、小さな頃の僕にとって、この出来事はトラウマでした。
それ以来です。
この親戚Cさんに会うと、どこか萎縮してしまう。身構えてしまうようになりました。
Case2 お医者さん
もう一つのケースは、
耳鼻科のお医者さんでした。
お医者さんは、なんだか昔から怖く見えてしまって、萎縮したり、相手との間に壁を作ってしまうのです。
二つの事柄の共通点とは?
両方のケースに共通するのは、「恐怖」です。
親戚のCさんは、お祭りのトラウマが原因で怖い。
お医者さんは、やっぱり病院=痛いみたいなイメージが原因で怖い。
「怖い!」という反応が原因で、「萎縮する・身構える・不安になる」といった反応が起こります。
これは、とてもありがたい反応とも言えます。もしこれが無かったら、平然と危険に突っ込んで、痛い目を見ますよね。
たとえば、僕たちが「丸いものは安全だ」と思って石を拾うように、とがっているものを平然と拾おうとするかもしれません。紫色のキノコを、平然と食べるかもしれません。
人間は、「とがったものには近づくな。ケガするぞ」みたいなことを、本能的に理解しています。
だからこそ、怖いものに対しては、「萎縮する・身構える・不安にさせる」みたいな、人を慎重にさせる作用を及ぼすのです。
僕たちは、怖いもの全てに対して萎縮してしまいます。それはもう仕方のないことですから、受け入れるほかありません。
大事なのはここからです。「恐怖が原因になって起こる反応に、どう対応するのか」ということです。
「恐怖を感じたまま、そこに立ちすくむのか」
「恐怖を克服して、行動を起こすのか」
人間には「理性」があります。だからこそ、「人間には理性がある」ということを基に作られたルールが、たくさんあります。それはつまり、本能的に、気の向くままに生きていては不都合なことが、多々あるということです。
恐怖を理性的に克服したほうが得をするケースは、たくさんあります。
たとえば、怖がって病院に行かない人がいます。気持ちはとても分かりますが、この場合はそんな恐怖に打ち勝って、病院に行ったほうが得なのは明らかですよね。
では、どういった論理をもってすれば、恐怖に対して理性的に動けるのでしょうか。
「ブログ炎上」「誹謗中傷」などの経験を取り上げつつ、次のトピックで考えていきます。
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ブログが炎上+誹謗中傷されまくって分かった恐怖や不安への対処方法
僕は、昔とあるゲームブログを運営していました。そして、その業界内で革新的なノウハウを生み出し、ブログで提供しました。
もちろん、そのノウハウは、ゲームの規約的にも問題はありませんでした。
しかし、公開してしばらく経った頃でした。
そのノウハウが、迷惑行為に悪用されていることが分かったのです。
「握れば拳、開けば掌」です。たとえ同じ手でも、握れば人を殴れるし、開けば人をなでられる。「はさみ」だって、残虐なことに悪用できるように、僕のノウハウも、悪用が可能なものだったのです。
こうして、他人に迷惑をかけ、なおかつ金儲けになるテクニックとして利用されてしまいました。この点については、深く考えなかったことを、今でも反省しています。
こうして2chやらに晒された結果、被害に遭った人や、その行為をよく思わない人から、「誹謗中傷コメント」が付くようになりました。
ありがたいことに、僕を擁護してくれる人もいました。ですが、それをキッカケにするように、誹謗中傷は加速しました。ニコニコ動画やYouTubeのコメント欄などを見るとよく分かるのですが、嫉妬を起因にあら探しをする人って、本当に多いです。
こうして、アクセス・誹謗中傷コメントが急増し、いわゆる「炎上」となりました。
ブログの炎上のみならず、「なりますし」まで出ました。僕のHN(ハンドルネーム)を使い、他人のブログに誹謗中傷コメントをするのです。
結局は、ブログで謝罪をして、ノウハウの公開も停止して、この件については落ち着きました。
最初こそ、荒らし行為に心が痛みました。しかし、途中からはまったく気にしていませんでした。
「気にする必要が無いな」という考えに至ったからです。
僕が「誹謗中傷」と呼んでいるコメントは、「批判」とは違います。「批判」とは、きちんと理由を付けて、それを正すべきであると指摘することをいいます。
誹謗中傷とは、「根拠のない悪口で、他人を傷つけること」です。
そう、「根拠がない」のです。
「日本語を喋る犬がいた!」
信用するでしょうか? しません。
日本語を喋る犬なんてのは、ソフトバンクのお父さんくらいです(笑)
「明日、隕石が落てくるぞ!」
信用するでしょうか? しません。
誹謗中傷コメントを真に受ける必要はあるでしょうか? ありません。
なぜなら、根拠がないからです。
「誹謗中傷されることは、怖いことである。」
と思ってしまうのは、コメントの内容が内容ですから、仕方がありません。それは本能的なものです。
しかし、恐怖を覚えたあとで、
それをもっと冷静な視点から、
つまり理性的に考えればどうでしょうか。
根拠のない誹謗中傷コメントに怯えたり、嫌な思いをさせらせるのは、馬鹿げていると分かるはずです。
つまり、これは本物の恐怖ではなく、幻想的な恐怖にすぎないのです。「最初は本能的に怖いと感じたけれど、実際は怖くはないもの」です。
中傷コメントと同じように、
「Cさん」「お医者さん」についても、
「それは、本当の怖いのか?」と考え直してみることにしました。
Cさんは、本当は怖くない。僕がぐずって迷惑をかけていたのが悪いから、あの出来事が起きたのだ。それは正当であり、むしろあれ以上迷惑をかけなくて済んだことに、お礼を言いたい。
病院も、本当は怖くない。なぜなら、病気の発見や治療に繋がって、もっと苦しい思いをせずに済むからだ。
多くの恐怖は、
冷静に考えれば、
本当は怖くないケースばかりです。
むしろ、そこから目を背けて訪れる結果のほうが怖い。
それは本当に怖いのだろうか? と考える。
そして、その問いに答えとき、多くの場合は恐怖を克服することができます。
最初は「怖い」と身構えてしまっても、自分の頭の中で、「それは怖くない」という整理が付けば、それに対して、平然としていられるようになっていくのです。
それに対する「恐怖」が無くなると、一ついいことがあります。
「身構える」ということが無くなることです。
当然、怖いものには警戒心を持ち、身構えたりしますよね。
だから僕は、Cさんやお医者さんに対して、いつも「壁」を作っていました。しかし、「壁」を作ることには、大きなデメリットがあります。
それは、「お互いがオープンになれないこと」です。
もしもお互いがオープンになれれば、お互いが気兼ねなく、色んなことを話せます。すると、当然ながら付き合いが楽しくなります。
僕はもう、Cさんやお医者さんに対しての「恐怖」が払拭されました。
だから、「オープンにいこう!」という心構えで、再び耳鼻科に行ってみました。
すると、「普段、どんなことしてるの?」と話しかけてもらえて、そこから雑談が始まったのです。
こんなことは、これまで一切ありませんでした。また、治療に必要な質問であれば、もっと前からあったハズの質問内容でした。
「自分はまだ、内面しか変えていないのに…!」
と、ビックリしましたが、立ち振る舞いとか、表情とか、声のトーンやらが、おそらく無意識のうちに変化していて、「話しかけやすい」という雰囲気が出せたのかなと思っています。
関連記事: 無意識や潜在意識の行動・考え方・人付き合いへの影響について
その雑談がキッカケで、なぜか前回の来院では、「プリンター」を一緒に直したりしました(笑)
なんだか、一気に距離が縮まった感じがしています。
自分が変われば、世界は変わります。
それは本当に、恐れるべきものなのでしょうか。
P.S.
「誹謗中傷」の例に出したブログの、コメント管理画面を掲載します(こういう証拠画像的なものは、出せれば出せたほうが信ぴょう性が増すと思うので)。
100×27ページのコメント数です。
余談ですが、僕は(誹謗中傷コメントを除いて)全てのコメントに返信をしていました。
このゲームは実践の繰り返しが重要です。なのですが、実践そっちのけで、毎日数時間はコメント返信をしていました。おかげで、ブログを始めてから、このゲームがどんどん下手になったことを覚えています(笑)
もちろん、それを承知でやったことで、それはとても楽しいひとときでした。まだ数年前のことですが、良い思い出です。
P.P.S.
さきほど、こう言いました。
ニコニコ動画やYouTubeのコメント欄などを見るとよく分かるのですが、嫉妬を起因にあら探しをする人って、本当に多いです。
「嫉妬」
これは悪いことではなくて、
当たり前に起こることです。
大事なのは、「恐怖」とも似ていますが、「嫉妬を感じたあとに、どうするか?」ということです。
嫉妬をしたあとに「自分自身が這い上がろう!」とエネルギーにできる人と、「アイツを蹴落としてやる!」と負の方向にエネルギーを使う人がいます。
もちろん、前者のほうが有益です。くっそー! 俺もなりたいぞ! 頑張ろう! と、努力をする形です。
関連記事: 努力できない悩みを持つ人が続けられるようになるための3つの方法
後者は、ほとんど意味がありません。なぜなら、蹴落としているつもりでいても、蹴られている当事者は、ほとんどの場合ノーダメージだからです。今回のお話のように、「誹謗中傷の受け取り方」というのは、誹謗中傷されると分かってくるものなのです。
もし彼らの目的が「対象人物を不快にさせる」であれば、彼らの努力は無駄であるということです。また、誹謗中傷に使った時間は、二度と戻ってきません。
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